挑戦し続ける、
男でありたい。
わたしの使命

入社 3 年目のころでした。事前に布石はありましたが、突然上司に呼ばれ、メインマーケットであるパキスタンへの長期出張の後、駐在の話をされたんです。「2 週間だけやる。とにかく早く行ってくれ」と言われ、大急ぎで準備をして海を渡りました。当時はまだ 25 歳。そんな私が異国の地に向かい、駐在先の商売を大きくするという任務を任されました。まわりは年上の外国人ばかりでしたし、なかにはパキスタンの大学の MBA 取得者もいました。お国柄なのか、商売気質が強いのか、スタッフからトップまで四六時中アグレッシブな交渉をしてきます。とにかくもうよく喋る。だけど、こっちも負けてはいられない。喰われてしまわないよう、一対一で粘り強く交渉を続けました。もともと私はあまり喋るタイプの人間ではなかったのですが、パキスタンで鍛えられるうちに自然と口数も増えていきました。過酷な 4 年半ではありましたが、現地での仕事は私にとっての原体験。問題が起こればお客様と腹を割って話し合う。解決策をひねり出す。当時は感謝されることも怒られることもたくさんありましたが、スタッフ一同全員が一丸となって事業を拡大できたことは今でも良い思い出です。若いからこそ乗り切れた、日本にいても経験できないようなエキサイティングな日々でした。
ETEL へ出向する前までは、私は伊藤忠のプライベートブランドタイヤの販売や品質管理、パートナーの開拓を主に担当していました。商社はビジネスモデル上、メーカーブランドの製品を販売することが多く、メーカーさんが自社でメーカーブランドを販売するようになると、一瞬で販売する商材が無くなるリスクも抱えているということ。メーカーさんとの取引がストップすれば伊藤忠のビジネスそのものがストップしてしまうため、商社自身が自社ブランドを所有し、手掛けることには大きな意味があります。ただ、これは伊藤忠にとっては未知への挑戦。タイヤ製造のノウハウは当然ありませんし、自社ブランド製品として市場に販売する以上は大きな責任が伴います。特にタイヤは安全に関わるものですし、品質管理においては厳格な基準を設けて慎重に慎重にマネジメントしていかなければなりません。我々としても慎重に一歩一歩進めていくしかありませんでしたが、新しいチャレンジングな仕事に携わるというのは楽しいものでした。リスクをきちんと把握してマネジしながらこのモデルが確立されれば、将来的には商社の新しい可能性を切り開くこともあり得るのではないかという想いで取り組んでいました。

インターネットの躍進に、グローバル化。世の中はどんどん進化しています。わたしたちが何もしてなくても、世界はきっと大きく様変わりしていく。20 年後には商売の形態も業界の構造も、今では想像すらできないような新しいかたちに生まれ変わっている可能性があります。そういう意味では非常にエキサイティングな時代を迎えていると思いますし、同時に変化し続けなければ企業としても個人としても生き残れない時代だと言えるのではないでしょうか。伊藤忠は 150 年以上、先駆者となることで事業を拡大してきた会社です。開拓者精神に満ちた強いメッセージが社内を飛び交っていますし、長い年月のなかで培ってきたチャレンジングな風土があります。私は「挑戦」の 2 文字に自分の意気込みを込めましたが、いつかは世の中を変えるぐらいのプロジェクトを市場に仕掛けてみたい。自分がやっている業界で変化を仕掛け、常にその中のフロントランナーでありたいと思います。伊藤忠にいる以上は、それぐらいの気概でやっていきたい。挑戦し続ける男であること。それが私の信念です。
| 2000 年 | 経理業務を担当 |
|---|---|
| 2002 年 | タイヤのトレーディング業務を担当 |
| 2003 年 | カラチ支店へ長期出張、駐在 |
| 2006 年 | カラチ事務所へ |
| 2007 年 | ITR へ出向 |
| 2009 年 | PB 商品 (タイヤ) の開発を担当 |
| 2014 年 ~ | レッチワースにある ETEL へ出向 |

休日に家族と行った、上野動物公園での一枚です。普段は忙しく、なかなか時間を取れませんが、家族と一緒に過ごすことで、心身ともにリフレッシュできます。仕事とプライベートのメリハリはやはり大切ですね。

加藤 明弘
ETEL 出向 (レッチワース駐在)
慶應義塾大学卒業。37 歳。2000 年入社。住生活・情報カンパニー配属後、経理チームへ。その後ゴム・タイヤ部タイヤ第一課を経て、パキスタンに駐在。帰国後、4 名のメンバーとともにプライベートブランドを手掛けた。2014 年からレッチワースにある ETEL 社へ出向している。
