[ OUTDOOR PRODUCTS ]
繊維カンパニー
河田晃一×中川弘國

2012 年 11 月 21 日。あるニュースリリースが市場を驚かせた。世界 60 ヵ国以上で愛される「OUTDOOR PRODUCTS」の商標権の一部を伊藤忠が取得。アジア・中東・南米計 19 地域での事業を継承したのだ。アメリカ発のアウトドアプロダクツは、40 年の歴史を持つグローバルブランド。世間一般から見れば、ビジネスを手放す理由はどこにもない。なぜ創業者は我が子同然のビジネスを手放したのか。なぜ日本人だったのか。契約締結の立役者である伊藤忠の河田、その後の事業拡大を手掛ける中川のふたりに話を聞いた。

河田 晃一
繊維カンパニー
ブランドマーケティング第一部
ブランドマーケティング第十一課
課長代行

中川 弘國
繊維カンパニー
ブランドマーケティング第一部
ブランドマーケティング第十一課

「ドアノック」という言葉が繊維カンパニーにはある。大手商社とは言え、どんなブランドからも歓迎されるわけではない。まずは扉を叩き、相手の反応を窺う。当時、河田は第十一課に異動してきたばかり。なにか仕掛けてやろうと意気込んでいた。「現在、アジアのアウトドア・レジャー市場は急速に成長しています。ここにブランドを投入できれば大きなインパクトが生み出せると感じていました」。なかでも河田が特に注目したのは「OUTDOOR PRODUCTS」だった。同ブランドが生み出したデイパック「452」は、もはやアウトドア製品の歴史の一部である。高品質、低価格。子どもから大人にまで幅広い層に愛されるグローバルブランド。伊藤忠とタッグを組めばアジアで成功する可能性は充分にある。河田にとっては願ってもない相手だった。しかし、ことが簡単に進むはずもない。ドアノックの反応は、もちろん門前払いである。「相手のビジネスは非常に上手くいっている。簡単ではないのはわかっていました」。粘り強く、何度も何度もアプローチを試みる。ブランドとの交渉は機密性が高く、社内においても水面下で動かなければならない。孤独な戦いだった。そして 6 ヵ月が経ったとき、堅い扉がそっと開く。隙間から光が差し込んでいた。

2012 年 2 月。河田のラブコールが、ようやく創業者の心に届く。すぐにロサンゼルスに飛んだ。そしてアジア戦略を熱く語った。意外にも反応は良好。おもしろい。すぐに進めよう。努力が報われた瞬間だった。「創業者の二人は現在 70 代。ある意味、事業継承の仕方を模索していた時期だったのかもしれません。熱意があるかどうかも試されているような気がしました」。しかし、実際に契約に至ったのはそれから 9 ヵ月後。プレゼンの成功は、交渉の幕開けに過ぎなかったのだ。「創業者にとってブランドは人生そのものであり、命そのもの。魂に向き合うぐらいの覚悟が必要でした」。朝昼晩と時間を費やしブランドについて聞き、ブランドについて語り合った。もはやビジネスではない。人間対人間である。「創業者のひとりは実のお子さんを亡くされていると聞きました。ブランドは本当の意味で子どもになっていたのだと思います。なまはんかな気持ちで、受け継ぐなんて絶対に言えませんよね」。11 月 15 日。譲渡契約が締結される。アジアだけでなく中東・南米の商標権も託された。創業者が河田の顔を見て優しく語りかけてきた。「君にめぐり会えて本当に良かった。よろしく頼む」。魂の重みを感じた一言だった。

課題は山積みだった。複雑な商流、各国でのブランドイメージ、既存パートナーとの信頼関係の再構築。ビジネスを成功させるためには、乗り越えるべき壁も多い。営業担当を誰にするかは伊藤忠にとっても重要な人事事項だった。白羽の矢が立ったのは、意外にも入社 4 年目の中川。河田は語る。「正直、もっとキャリアのある人間に任せるべきではないかという議論もしました。ただ、彼は若いうえにタフガイですし、この仕事を通じて大化けするかもしれないという期待感があった」。中川も負けてはない。「最初に声をかけられたとき不安はありませんでした。やりたいって気持ちのほうが強かった」。ハードな毎日の始まりだった。鞄ひとつとっても、中川の仕事は商品企画から価格決定、部材選定、製造、販売と多岐にわたる。加えてアイテム数は数百に上り、今後の戦略についても知恵を絞らなければならない。「もう毎日毎日、新しいことが雨のように降ってくる感じでした」。中川はまだ入社 4 年目。相場観に関しても豊富な知識があるわけではない。しかし、中川がとまればビジネス自体がとまってしまう。気になることをメモしては、その場で先輩たちをつかまえて議論した。なりふりかまっていられない。創業者から魂を引き継いだ河田の顔に、伊藤忠の顔に泥を塗るわけにはいかないのだ。その想いだけが、中川の背中を支えていた。
中川は今、事業継承の過渡期を駆け抜けている。市場を体感するために、日本を含め、アジアの売り場に足を運んでいる。「OUTDOOR PRODUCTS は日本、台湾においては広く認知されていますが、そのほかの国々ではまだまだ挑戦者の域を出ていません。のびしろはきっと大きい」。春には原点回帰をコンセプトにしたシリーズ展開も予定している。「名作を現代風にアレンジすることで、セレクトショップなどへの販路拡大、新しいターゲットへのリーチを狙っています。創業者たちが歩んできた道を、わたしたちももう一回体験していこうという思いもありました」。プロジェクトについて熱く語る中川の顔は、もはや新人のものではない。ともにインタビューを受ける河田は本人を前にしてこう言った。「この 1 年で、中川の働き方は大きく変わったと思います。仕事をこなすのではなく、自ら仕事をつくる姿勢になってきた。人選は間違いではなかった」。プロジェクトはまだまだスタートしたばかりだ。ふたりの戦いはこれからも続く。「私たちの最終的なゴールは創業者から受け継いだ魂を、アジアから世界にしっかり広げていくこと。今年、ブランドは生誕 40 周年を迎えましたが、次の 50 周年を、さらに次の 100 周年をきっちりと祝っていきたい」。ふたりのまなざしには、まるで創業者のような熱意が宿っていた。
